2020年5月22日午後7時から放送の「ウマい!安い!おもしろい!全日本びっくり仰店グランプリ」でサービスのし過ぎでとんでもないことになってるお店が紹介されました。
お店は熊谷にあるのに「甲子園」。どうして「甲子園」という名前なのか大将の経歴からうかがうことができました。
この熊谷の「甲子園」のマスター、実はとんでもなく凄い人だったんです。
熊谷の甲子園の大将の名前は?
熊谷にある「甲子園」のマスターの名前は橋本哲夫さんです。
熊谷の甲子園の大将、橋本哲夫さんの経歴は?
出身高校:埼玉県立熊谷商業高等学校
お店の名前や店舗から野球好きであることはあきらかですが、ご本人も野球をされていました。
2年生でも甲子園に出場している橋本さんですが3年生で出場した1965年夏の第46回全国高等学校野球選手権大会の予選、西東京大会準決勝でホームランを打っています。
そのホームランを打った時のピッチャーが、後の巨人で活躍する堀内恒夫投手(甲府商業高等学校)だったのです。
そして甲府商業を1-0で下し決勝し進出、大宮工に勝って甲子園に出場しています。
甲子園では惜しくも2回戦で報徳に負けてしまいました。
本人曰く「当時、監督が堀内投手があまりにもすごいピッチャーなので思いっきり振り回してこい、というので振り回したら当たった。」と言っています。
それにしてもすごいですよね。
高校卒業後、信用金庫に就職しますが3年で退職してしまいます。
当時熊商の斎藤監督が一人で野球部を見ていたのを自ら申し出てコーチに就任します。
当時はスパルタ野球で厳しい練習をしていたそうです。今では許されないかも、とおっしゃっていますがみんなその後の人生では成功されているそうです。
そんなコーチ時代には3回甲子園に出場しました。
自宅では野球部の下宿生を多い時には10人も受け入れていたそうです。
公立の高校なのでコーチとして給料はもらえず生活は苦しかったようですね。
そんな時に熊商時代の同期のピッチャー森さんと一緒に食べに行った焼き鳥があまりにも美味しかったので焼き鳥やをオープンさせました。
実家の駐車場に現在の「甲子園」構えます。(席数は15席、ベンチに入れるのが15人ということでその席数になったとのこと。)
どこかで修行をするということもなくいきなりスタートしたそうですが連日満席でとっても繁盛し2年半ほどしてから「甲子園第二球場」を作りました。
まとめ
お店が繁盛しているのは味が美味しいのはもちろんのこと、橋本さんの人柄によるところが大きいのかもしれませんね。